安東家
本籍 大分県豊後高田市長岩屋
旧 西国東郡西都甲村大字長岩屋
江戸時代 豊後国国東郡長岩屋村
2026年9月27日
見本 家の名と本籍は架空 資料と調査内容は実在
目次
この見立帖について
この見立帖は、戸籍をお預かりする前の段階で、これまでに分かったことをまとめたものです。安東という姓の広がりや、本籍のある長岩屋と都甲の村の成り立ちをはじめ、近代の名簿、菩提寺と考えられる寺、江戸時代の村と家、中世・戦国の記録、土地に伝わる話までを取り上げています。現在から過去へ順に遡り、家の起こりについて整理した、今後の調査を進めるかどうかをご判断いただくための資料です。
一調査結果
1全国の安東
安東という姓は全国に約1万6,700人おり、姓の人数では1,057位にあたります。都道府県別で最も多いのは大分県の約4,600人で、岡山県 約2,500人、兵庫県 約1,300人、大阪府 約1,200人、福岡県 約1,100人と続きます。
市区町村別では大分市の約2,600人が全国で最も多く、臼杵市 約900人、岡山県の津山市と岡山市 各約400人、豊後高田市と別府市 各約300人と続きます。安東は、大分県と、岡山県の美作から備前にかけての二か所に多い姓だといえます。本籍の長岩屋がある豊後高田市は、全国でも安東の多い市の一つです。
安東 全国 約16,700人(1057位)
- 大分県約4,600
- 岡山県約2,500
- 兵庫県約1,300
- 大阪府約1,200
- 福岡県約1,100
- 東京都約800
- 神奈川県約600
- 愛知県約500
2大分県の安東
豊後高田市の安東は約300人で、大字・字別に見ると、来縄 約50人、佐野 約40人、小田原・美和・蕗 各約30人と、市の南の桂川の流域に集まっています。本籍の長岩屋にも安東がいます。長岩屋のある都甲の谷では、一畑と荒尾にも安東がいます。
| 字 | 人数(推計) | 所在 |
|---|---|---|
| 長岩屋 | ごく少数 | ご本籍のある字 |
| 一畑 | 約10 | 都甲の谷の東側。本籍地から約3.5km |
| 荒尾 | ごく少数 | 都甲の谷の西側。本籍地から約5.2km |
| 来縄・来縄上南・来縄雲林 | 約70 | 桂川の流域。本籍地から約10km |
| 佐野・佐野西川丸山 | 約40 | 桂川の流域。天正8年(1580)の書状に出る鞍懸の土地。本籍地から約9.4km |
| 小田原 | 約30 | 本籍地から約6.6km |
| 美和 | 約30 | 本籍地から約8.1km |
| 蕗 | 約30 | 田染の大字。本籍地から約4.6km |
| 嶺崎 | 約10 | 田染の大字 |
| 高田西新・高田是永 | 約10 | 市の中心部。本籍地から約10km |
| 森・真中・玉津立畑・草地米山・新栄中伏・御玉中之島 | ごく少数 | 本籍地から約6〜10km |
日本姓氏語源辞典の推計。注2
大分県の安東は、市ごとに字まで見ると四つのまとまりになります。本籍の長岩屋は、そのうち国東半島の西、豊後高田市のまとまりの東の端にあたります。
| まとまり | 字(上位) | 本籍から |
|---|---|---|
| 豊後高田市 | 来縄 約50、佐野 約40、小田原 約30、美和 約30、蕗 約30 | 9km |
| 大分市 | 上宗方 約200、田尻 約200、玉沢 約100、高瀬 約90、月形 約70、上判田住床 約60 | 38km |
| 臼杵市 | 大野岩崎 約100、吉小野 約60、江無田 約50、井村 約30、大野高倉 約30、田井 約30 | 55km |
| 大野郡大野町 | 中土師 約40、十時 約30、屋原 約10、田中 約10 | 60km |
本籍からの距離は、各市町の中心あたりまで。注2
3本籍の周りの安東
安東のいる土地を、本籍の長岩屋からの距離と、各土地の全世帯に占める安東の割合(濃さ)に基づいて並べました。姓の広がりは県境で切れないため、大分県と、接する福岡県・熊本県・宮崎県を一つの図にまとめています。土地の単位は平成の大合併より前の市町村で、江戸時代の村に一段近い区分です。
割合が最も高いのは、県の南の臼杵市(1.98%、192世帯、本籍から55km)と大野郡大野町(1.92%、34世帯、60km)です。本籍のある豊後高田市は1.17%(60世帯)でこれに次ぎ、本籍地から約9kmの近さにあります。数で最も多い大分市は512世帯で、濃さは0.66%と4番目です。
本籍の周りでは、隣の西国東郡大田村も0.31%(2世帯、9km)と割合が高くなっています。福岡県・熊本県・宮崎県の土地は、どれも0.13%以下です。大分県の安東は、国東半島西部の豊後高田と、県南部の臼杵・大野・大分という二つのまとまりをなしています。
| 旧市区町村(2000年) | 世帯 | 町の全世帯 | 濃さ | 本籍から | 人数(推計) |
|---|---|---|---|---|---|
| 臼杵市 | 192 | 9,697 | 1.98% | 55km | 約880 |
| 大野郡大野町 | 34 | 1,771 | 1.92% | 60km | 約80 |
| 豊後高田市 | 60 | 5,128 | 1.17% | 9km | 約300 |
| 大分市 | 512 | 77,576 | 0.66% | 38km | 約2,560 |
| 大分郡野津原町 | 9 | 1,452 | 0.62% | 46km | 約40 |
| 大分郡挾間町 | 15 | 3,261 | 0.46% | 42km | 約50 |
| 大野郡千歳村 | 3 | 698 | 0.43% | 60km | 約10 |
| 大野郡三重町 | 12 | 4,800 | 0.25% | 67km | 約30 |
| 別府市 | 46 | 24,211 | 0.19% | 33km | 約300 |
| 西国東郡大田村 | 2 | 645 | 0.31% | 9km | ごく少数 |
| 大野郡野津町 | 5 | 2,632 | 0.19% | 61km | 約20 |
| 直入郡直入町 | 2 | 800 | 0.25% | 58km | 約10 |
| 大野郡清川村 | 2 | 870 | 0.23% | 68km | ごく少数 |
| 竹田市 | 6 | 5,000 | 0.12% | 68km | 約20 |
| 糟屋郡新宮町 | 4 | 3,077 | 0.13% | 103km | 約20 |
濃さの上位15か所を示しています。本籍のある豊後高田市を含みます。残りの77か所は巻末の付表に掲載しています。注4
臼杵・大野の安東をどのように考えるか
県南部の臼杵と大野は、本籍から55〜60kmの距離にあり、現在の安東の分布が最も濃い土地です。解釈としては、二つの可能性が考えられます。一つは、豊後一国が大友氏の領国として一体的な領域を形成していた時代に、同じ姓が国の中を行き来した結果とみるもので、55kmは400年の間に一族が移動した距離として十分に想定可能です。もう一つは、大野に中世の「安藤名」に当てられる土地があることから(8・10を参照)、県の南にもう一つの起こりの核があるとみるものです。どちらの形に当たるかは、戸籍と村の文書を調べ、江戸時代の居所を遡ることで分かります。見立ての中心は、本籍地から約9kmに同じ名字の古い家が続く、国東半島の西の側にあります。
4長岩屋と都甲のあゆみ
長岩屋は国東半島の中ほど、両子山から西へ流れる都甲川の上流の谷にあります。『西国東郡誌』は、長さ一里あまりの峡谷に数百丈の絶壁が並ぶ土地として長岩屋を記し、「都甲耶馬」と呼ばれていたこと、峡谷の道が東国東郡の上伊美村へ通じていたことを伝えます。都甲川は長岩屋の谷を貫いて松行に至り、一畑から来る流れと合わさって高田へ下ります。注6
| 年 | できごと | 出典 |
|---|---|---|
| 弘安8年(1285) | 豊後国図田帳に、国東郡都甲荘 七十町、宇佐弥勒寺領、地頭は都甲左衛門入道西迎の跡とあります | 『西国東郡誌』第一章(図田帳を引く) |
| 江戸時代 | 島原藩(松平氏)の領地でした。天明年中(1781〜1789)の六郷山の寺院名簿も、長岩屋村の天念寺を「島原領」と記します | 『西国東郡誌』西都甲村の項・第十四章 |
| 享和3年(1803) | 『豊後国志』は、長岩屋・加礼川・一畑など九か村を、もとは都甲荘に属していた村として挙げています | 『西国東郡誌』第一章(『豊後国志』を引く) |
| 明治8年(1875) | 第一大区五小区となり、旧都甲荘の梅木・一畑・加礼川・新城・長岩屋・松行・築地・大力・荒尾・払田の十か村をまとめて「都甲村」と称し、用務所を松行に置きました | 『西国東郡誌』西都甲村の項 |
| 明治17年(1884) | 4月に長岩屋に学校の分校が置かれ、8月に長岩屋・築地・松行・大力・荒尾の五か村が連合して役場を築地に置きました | 『西国東郡誌』第十八章・西都甲村の項 |
| 明治22年(1889) | 町村制で五か村が合わさって西都甲村となり、長岩屋はその大字となりました。隣の新城・加礼川・梅木・一畑は東都甲村となりました | 『西国東郡誌』西都甲村・東都甲村の項 |
| 昭和29年(1954) | 町村の合併により、豊後高田市となりました | 豊後高田市「豊後高田市の紹介」 |
| 昭和52年(1977) | 国東の修正鬼会が国の重要無形民俗文化財に指定され、長岩屋修正鬼会保存会がその保護団体の一つとなりました | 国指定文化財等データベース(文化庁) |
| 平成29年(2017) | 天念寺耶馬および無動寺耶馬が、国の名勝に指定されています | 国指定文化財等データベース(文化庁) |
5近代の名簿
明治(1868〜1912)から昭和(1926〜1989)のはじめの名簿と郡誌で、本籍の周りと大分県の安東の記載を確かめました。
| 年 | 資料 | 記載 |
|---|---|---|
| 1882年 | 『西国東郡誌』歴代郡長の表 | 西国東郡長を務めた安東九華。原籍は西国東郡河内村(本籍地から約9km)です |
| 1889〜1923年 | 『西国東郡誌』西都甲村の歴代村長 | 西都甲村の欄に安東の記載はありません |
| 1918〜1923年 | 『西国東郡誌』東都甲村の歴代村長と青年会 | 東都甲村(長岩屋の東隣。加礼川まで約1.3km)では、大正7年(1918)8月から安藤亀松が村長を務め、青年会の会長も兼ねています。郡誌は姓を「安藤」の字で載せています |
| 1928年 | 『銀行会社要録』32版 | 北海部郡臼杵町の安東新平が、日本満俺鉱業の監査役として記載されています |
| 1931年 | 『帝国商工録』九州版 | 北海部郡臼杵町の安東久兵衛の名が記載されています |
| 1932年 | 『日本商工録』大分県版 | 西国東郡高田町の安東正夫の名が記載されています(本籍地から約10km) |
名簿に安東が出る河内村・高田町(いまの豊後高田市)と臼杵町(いまの臼杵市)は、字の分布で濃く出る二つの土地と重なります。本籍の隣にある東都甲村では、姓を「安藤」と表記する村長が確認されています。長岩屋の安東家が「安東」と「安藤」のどちらの字で書かれてきたかは、除籍で分かります。注7
6菩提寺と考えられる寺
本籍の長岩屋から半径9kmにある寺を挙げました。いずれも可能性にとどまり、菩提寺はご本家、位牌、過去の戸籍で確かめる必要があります。
| 寺 | 宗派 | 本籍から | 覚え |
|---|---|---|---|
| 長岩屋山 天念寺 | 天台宗 | 0.6km | 長岩屋の寺。六郷山の中山の寺で、正月の修正鬼会が続きます |
| 金剛山 長安寺 | 天台宗 | 0.9km | 屋山の中腹です。郡誌によると、近くには吉弘家ゆかりの五輪塔が並んでいます |
| 富貴寺 | 4.5km | 田染蕗の寺 | |
| 両子寺 | 5.3km | 両子山の寺 | |
| 萬弘寺 | 6.9km | ||
| 西叡山 高山寺 | 天台宗 | 8.1km | 六郷山の寺 |
| 岩戸寺 | 8.3km | 修正鬼会の保護団体のある寺 | |
| 真木大堂 | 8.7km | 田染真中 |
国東半島は六郷満山の寺が多く残る土地で、長岩屋はその中山の寺、天念寺の門前にあたります。長岩屋の家の菩提寺は、この天念寺か、都甲の谷にある寺である可能性が高いと考えられます。注8
7江戸時代の村と家
長岩屋村は島原藩の領地で、村の寺は天念寺でした。同じ西国東郡の中では、本籍地から約9kmの河内村佐野に、江戸時代を通じて庄屋(郡誌は「里正」と書きます)を務めた安東家がありました。
| 事柄 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 領主 | 長岩屋村は島原藩(松平氏)の領地でした | 『西国東郡誌』西都甲村の項 |
| 村の寺 | 天明年中(1781〜1789)の六郷山の寺院名簿に、長岩屋村の長岩屋山天念寺は山門の末寺、本堂は観音、六所権現を祀り、寄付五石八斗、山林境内百間四方とあります | 『西国東郡誌』第十四章 |
| 道 | 長岩屋を経て東国東郡の赤根村へ通じる道がありました | 『西国東郡誌』 |
| 1786年 | 国東の学者 三浦梅園の長女 類子の婿に安東貞五郎が入り、杵築藩主に召された次第を梅園がこの婿に書き送っています | 『梅園全集』下巻 1912年 |
| 18世紀 | 中津藩の医師、征矢野元甫の碑銘には、元甫の姉が「豊後安東氏」に嫁いだと記されています | 『梅園全集』下巻(征矢野元甫の碑銘) |
| 1825年 | 安東九華(名は宗明、通称 貞五郎)が文政8年に佐野の家に生まれ、帆足万里に学んで庄屋の職を継ぎました。明治8年に戸長、明治15年に西国東郡長、明治23年に衆議院議員となっています | 『西国東郡誌』人物 第九 |
| 1832年 | 河野通卿が天保3年に河内村佐野の安東家に生まれ、田染の河野家を継いで田染大庄屋となりました | 『西国東郡誌』人物 第七 |
| 1832年ごろ | 豊後の画家 田能村竹田が、大分の安東氏の家に滞在し「考盤図」を描き上げています | 『田能村竹田』巻6 1917年 |
| 1861〜1864年 | 文久年間(1861〜1864)に、河内村の安東貞斎が座繰りの製糸を試みています | 『西国東郡誌』本郡生産業の章 |
佐野の安東家は、江戸時代に庄屋として続き、学者の家と縁を結んでいます。通称の「貞五郎」は天明(1781〜1789)と文政(1818〜1830)の二代に出ます。長岩屋の安東家が江戸時代にどの村にいたかは、島原藩領の村の宗門改帳と、天念寺をはじめとする寺の過去帳で分かります。注7
8中世・戦国の記録
本籍の周りと、安東の名が出る土地について、中世から戦国時代の記録を土地ごとに整理しました。「考察」は、その記録が本籍の家にどうつながりうるかについての、現時点の見方です。
都甲荘(長岩屋を含む荘)
- 人物
- 地頭 都甲左衛門入道西迎、その子 五郎左衛門惟近
- 記録
- 弘安8年(1285)の豊後国図田帳に、国東郡都甲荘 七十町、宇佐弥勒寺領として載り、地頭 西迎の跡を子の五郎左衛門惟近が継いだとあります。郡誌は註で、大友家臣の姓氏録に大神の姓の惟近が載ることを挙げ、大神の系図の上でどの流れにあたるかは詳らかでない、と添えています
- 出典
- 『西国東郡誌』第一章(弘安図田帳・図田帳標註・『豊後国志』を引く)
- 本籍から
- 0km(本籍の荘)
- 考察
- 本籍の長岩屋は、中世の都甲荘の内にあります。この荘の地頭を継いだ惟近と同じ名の人が、大神姓の人物として大友家臣の姓氏録に載っています。郡誌は、大神氏を安東の先祖と記しています。二人が同じ人であるかは、郡誌の註でも見込みにとどまります
長岩屋山 天念寺(六郷山)
- 記録
- 六郷山の諸勤行の目録に、中山の分として長岩屋が載り、本尊は観世音菩薩、正月の修正会を四日から六日まで三夜勤めるとあります。弘安7年(1284)の異国降伏の祈りの巻数目録にも、中山の長石屋が七箇日の不動の行法を勤めたとあります。暦応元年(1338)の六郷山の文書は、屋山の例講の役を月ごとに割り、六月を長岩屋に当てています
- 出典
- 『西国東郡誌』第十四章 六郷満山の古仏刹
- 本籍から
- 約0.6km
- 考察
- 本籍の長岩屋は、鎌倉時代から六郷山の寺の山として記録に出る土地です
長岩屋の筧城と屋山(吉弘氏)
- 人物
- 吉弘采女(伝)、吉弘鑑理、吉弘統幸
- 記録
- 郡誌は『西都甲郷土誌要』を引き、享禄年間(1528〜1532)に吉弘采女が長岩屋に筧城を築いて都甲村・上真玉村を領したと記します。郡誌の編者は、吉弘の系譜の歴代に采女の名が見えないことを添え、筧城の築城は享禄(1528〜1532)よりかなり前と見ています。同じ章の吉弘の系図は、鑑理・統幸らを筧城主とします
- 出典
- 『西国東郡誌』第六章 吉弘氏
- 本籍から
- 約1〜2km(屋山のふもと。加礼川まで約1.3km)
- 考察
- 戦国の本籍の周りは、大友氏の一族 吉弘氏の城の足もとにあたります
佐野 鞍懸城の戦い
- 人物
- 安東宮内丞、安東大膳亮、安東外記
- 記録
- 天正8年(1580)、田原親貫が大友氏に背いて鞍懸城にこもった戦いで、大友親家・田原紹忍・大友義統が安東宮内丞らに宛てた書状が9通載ります。宮内丞は大友方の地侍として鞍懸の包囲に加わり、閏三月に傷を負いました。百貫の郷を治め、人夫を出す立場にあったことも書かれています
- 出典
- 『西国東郡誌』第二十九章 古文書(高田町の安東家と、玉津の家に伝わる文書)
- 本籍から
- 約9.4km
- 考察
- 同じ姓を持つ人物が、本籍地から約9kmの土地で戦ったことが、同じ時代の書状に残っています。長岩屋の家がこの流れである可能性があります
佐野の安東家(郡誌の人物の章)
- 人物
- 十四世 安東宮内少輔鎮景、その弟 統貞
- 記録
- 郡誌の人物の章は、安東九華の家の先祖を大神惟基とし、代々大友氏に仕え、鎮景が天正8年に弟の統貞とともに田原親貫を攻めて佐野を賜り、子孫が佐野に続いたと記します
- 出典
- 『西国東郡誌』第二十六章 人物 第九
- 本籍から
- 約9.4km
- 考察
- 書状の宮内丞と郡誌の鎮景は、どちらも宮内の官途で天正8年の鞍懸に出ており、同じ人と考えられます
大野郡の安東村
- 記録
- 豊後国図田帳の「安藤名 六町六段」に注が付き、編者はこれを大野郡安東村に当てています。いまの豊後大野市大野町安藤にあたります
- 出典
- 『増補訂正 編年大友史料』1942年(豊後国図田帳の注)
- 本籍から
- 約53km
- 考察
- 鎌倉時代の土地の名に、安東(安藤)が登場します。現在も大野町は、県内で安東の割合が2番目に高い町です
9土地に伝わる話
土地に伝わる話をまとめたものです。家の系譜を裏づけるものではなく、土地に伝わる記憶として付記しています。
| 土地 | 伝えられる話 | 本籍から | 出典 |
|---|---|---|---|
| 屋山・長岩屋城 | 慶長5年(1600)の石垣原の戦いで吉弘統幸が討たれたのち、長岩屋城にこもった吉弘の家臣を黒田如水の兵が攻め、統幸の妻が武装して屋山城に拠って戦ったと、地域に伝わっています。姫君が落とされた岩は「姫落し」と呼ばれています | 約1〜2km | 『西国東郡誌』第十五章 古趾 |
| 長岩屋(天念寺) | 正月の修正鬼会は、鬼の芸能によって福を招き、災いを除く効果があるとされてきました | 約0.6km | 国指定文化財等データベース(文化庁) |
| 安東(姓) | 豊後の安東は大神氏の流れであると、郡誌の人物の章は記します | — | 『西国東郡誌』人物 第九 |
| 安藤(豊後大野市大野町) | 中世の図田帳にある「安藤名」に比定される土地です | 約53km | 『増補訂正 編年大友史料』の注 |
10家の起こりについての考察
安東の家の起こりとして伝わる土地は、二つあります。一つは、郡誌が先祖と記す大神氏の流れです。もう一つは、中世の図田帳に出る大野郡の安東村です。どちらも、本籍の家の流れである可能性があります。本籍地から約9kmの高田・佐野には、天正8年(1580)の書状を伝え、江戸時代に庄屋を務めた同じ名字の家があります。次の図に、この三つの土地と鞍懸城の戦いを時代の帯で並べました。
大神氏の流れ(豊後大野市緒方町)出身地と考えられる土地
- 人物と事柄
- 郡誌の人物の章は、佐野の安東家の先祖を大神惟基と記します。図では、大神の流れを伝える土地として大野川の上流の緒方を置いています
- 資料
- 『西国東郡誌』人物 第九(後の時代にまとめられた本)
- 年代
- 平安の末から鎌倉時代
- 本籍から
- 約68km
- 考察
- 本籍の都甲荘の地頭を継いだ惟近と同じ名の人が、大神の姓で大友家臣の姓氏録に載ることを、郡誌の註は挙げています。荘の地頭と安東の先祖が大神の姓で重なる見込みがあり、本籍の家がこの流れである可能性があります
大野郡 安東村(豊後大野市大野町安藤)出身地と考えられる土地
- 人物と事柄
- 図田帳の「安藤名 六町六段」に当てられる土地です。現在も大野町は、安東の割合が県内で2番目に高く、1.92%です
- 資料
- 『増補訂正 編年大友史料』の注(編者の比定)
- 年代
- 鎌倉時代
- 本籍から
- 約53km
- 考察
- 地名と姓が一致する土地です。本籍の家がこの流れである可能性があります
高田・佐野の安東家(豊後高田市)文書を伝える家
- 人物と事柄
- 天正8年(1580)の鞍懸城の戦いで大友方として働いた安東宮内丞らに宛てた書状を伝える家と、郡誌が鎮景の子孫として伝え、江戸時代に庄屋を務めた佐野の家です
- 資料
- 『西国東郡誌』第二十九章 古文書(同時代の書状の翻刻)/同 人物 第九(後の時代にまとめられた本)
- 年代
- 天正8年(1580)から明治(1868〜1912)まで
- 本籍から
- 約9.4km
- 考察
- 江戸時代のあいだに人が行き来する距離としては十分に近い土地です。長岩屋の安東家がこの流れである可能性があり、菩提寺の過去帳で江戸時代の当主まで遡ると、照合できます
三つの土地のうち、本籍に最も近いのは約9kmの高田・佐野で、戦国の書状・江戸の庄屋・現在の字別の分布が同じ一帯に重なります。大神氏の流れと大野郡の安東村は、そこへ至る前の起こりとして伝わる土地です。
11まとめ
安東家は、国東半島の奥、六郷山の天念寺の門前にあたる長岩屋に本籍を置く家です。安東は大分県に最も多い姓です。本籍地から約9kmの高田・佐野には、天正8年(1580)の書状を伝え、江戸時代に庄屋を務めた同じ名字の家が続いています。長岩屋の安東家は、この国東半島の西に根を張った安東の流れにある可能性が十分にあります。
- 安東は全国に約1万6,700人おり、都道府県別では大分県が約4,600人で最も多くなっています。県内での割合は、臼杵市(1.98%)、大野町(1.92%)、豊後高田市(1.17%)の順に高くなっています。本籍のある豊後高田市は、約9kmの距離にあります。
- 豊後高田市の安東は約300人で、来縄・佐野・小田原・美和・蕗と桂川の流域に集まり、本籍の長岩屋と、都甲の谷の一畑・荒尾にもいます。
- 長岩屋は鎌倉時代から六郷山の天念寺の山として記録に出る土地で、中世は都甲荘、江戸時代は島原藩領の長岩屋村でした。明治22年(1889)からは西都甲村の大字です。
- 家の起こりとしては、郡誌が先祖と記す大神氏の流れ(緒方まで約68km)と、中世の図田帳に出る大野郡の安東村(約53km)の二つが伝わります。どちらも本籍の家の流れである可能性があります。
- 本籍地から約9km離れた佐野では、天正8年(1580)の鞍懸城の戦いで、安東宮内丞らが大友方として戦いました。この戦いに関する9通の書状は、高田の二つの家に伝わっています。郡誌には、佐野の安東家の先祖は大神惟基であり、宮内少輔鎮景が佐野を賜ったと記されています。この家は江戸時代に庄屋として続き、天明6年(1786)の安東貞五郎、文政8年(1825)生まれの安東九華を出しています。
- 遡れる年代の見込み:除籍で明治19年式(1886年)まで遡れます。江戸時代は長岩屋村の宗門改帳と天念寺をはじめとする寺の過去帳が手がかりで、戦国の記録は本籍地から約9kmの佐野・高田に9通あります。
鞍懸の書状は同じ時代に書かれた確かな記録で、佐野の家の先祖の話は後世に編纂された郡誌に記載されたもの、大神氏と安東村は、伝承と地名によるものです。これまでの調査から、安東家のご先祖は、戦国時代に大友方として国東で戦い、江戸時代に佐野で庄屋を務めた安東一族の中にあり、六郷山のふもとの長岩屋に住んだ家であると考えられます。
注図表の説明
注1 日本姓氏語源辞典(name-power.net。1993〜2016年の電話帳。2026年9月20日閲覧)の推計。色の段は、人数のある都道府県の散らばりを五等分して決めています。
注2 字ごとの人数は、日本姓氏語源辞典(name-power.net、1993〜2016年の電話帳)によります。2026年9月20日閲覧。人数は10人単位に丸めており、10人に満たない字は「ごく少数」と記しています。同じ大字に属する字(来縄・来縄上南・来縄雲林など)は、一行にまとめました。距離は、国土地理院の住所検索で求めた位置間の直線距離です。
注3 横は本籍の長岩屋からの直線距離、縦はその市町村の全世帯に占める安東の割合、点の大きさは世帯数です。地名を示したのは、安東の割合が高い土地と本籍に近い土地の14か所で、残りは点だけです(付表にあります)。
注4 世帯数と濃さは、日本苗字アトラス(2007年の電子電話帳。単位は平成の大合併前の市町村)によります。人数は、日本姓氏語源辞典(1993〜2016年の電話帳。2026年9月20日閲覧)の推計です。合併した土地の人数は、世帯数の割合に応じて合併前の市町村に分けています。「ごく少数」は10人に満たない地域を指します。世帯数は電話帳に掲載された家の数であるため、実際より少なく算出されます。並びは、世帯数の少ない村で割合が過度に高くならないよう、控えめに見積もった濃さの順です。町の全世帯数は、世帯数と割合から逆算した概数です。距離は、市町村の中心付近までの直線距離です。
注5 色の濃さは注4と同じ濃さ、滲みの広がりは世帯数です。県の形は国土数値情報(国土交通省)によります。
注6 『西国東郡誌』第十五章 第二十四節(長岩屋)と、第二十八章 西都甲村の項によります。距離は国土地理院の住所検索で求めた長岩屋の位置からの直線距離です。
注7 国立国会図書館デジタルコレクションによります(『西国東郡誌』pid 978679、『梅園全集』下巻 pid 949195、『田能村竹田』巻6 pid 1241935、『銀行会社要録』32版 pid 1075629、『帝国商工録』九州版 pid 1031405、『日本商工録』大分県版 pid 1034948)。
注8 寺の位置と宗派は OpenStreetMap によります。地図に載っていない寺や名前のない寺は出ません。宗派は地図の記載によるもので、記載のない寺は空欄です。
注9 横軸は時代です。行には、家の起こりとして伝わる大神氏の流れと大野郡の安東村、同じ名字の文書を伝える高田・佐野の安東家、天正8年(1580)の鞍懸城の戦い(菱形)を示しています。大神氏から高田・佐野の家への破線の矢印は、郡誌の人物の章が先祖を大神惟基と伝えていることを示します。家から鞍懸城への実線の矢印は、宮内丞が戦ったことを同時代の書状が伝えていることを示します。本籍への点線は、いずれも距離と分布に基づく推定です。戸籍や人別帳などの資料でつながりが確認できれば、実線になります。
注10 大神氏を伝える緒方、大野郡の安東村(豊後大野市大野町安藤)、高田町の安東家、鞍懸城のある佐野、本籍の長岩屋を置いています。県の形は国土数値情報(国土交通省)、海岸線と川は OpenStreetMap によります。
注資料の確認状況
原本の画像で確かめた資料 『西国東郡誌』1923年(pid 978679)のコマ61〜62・81・83・120・123・140〜141・155・162・219・236・301〜302・364〜365・368〜369・404〜405・420〜421、『田能村竹田』巻6 1917年(pid 1241935)のコマ113、『増補訂正 編年大友史料』1942年(pid 1043157)のコマ259、『銀行会社要録』32版(pid 1075629)のコマ886、『帝国商工録』九州版(pid 1031405)のコマ211、『日本商工録』大分県版(pid 1034948)のコマ18、『梅園全集』下巻 1912年(pid 949195)のコマ403・422。
所蔵機関の目録の記載による資料 国指定文化財等データベース(文化庁)の修正鬼会と天念寺耶馬及び無動寺耶馬の項。
付表本籍の周りの安東(続き)
| 旧市区町村(2000年) | 世帯 | 町の全世帯 | 濃さ | 本籍から | 人数(推計) |
|---|---|---|---|---|---|
| 南海部郡宇目町 | 2 | 1,176 | 0.17% | 80km | 約10 |
| 北九州市小倉南区 | 16 | 26,667 | 0.06% | 68km | 約100 |
| 宇佐市 | 9 | 12,857 | 0.07% | 19km | 約40 |
| 築上郡椎田町 | 3 | 3,000 | 0.10% | 46km | 約10以上 |
| 行橋市 | 9 | 15,000 | 0.06% | 55km | 約40 |
| 筑紫野市 | 8 | 13,333 | 0.06% | 95km | 約40 |
| 佐伯市 | 7 | 11,667 | 0.06% | 76km | 約20 |
| 田川郡川崎町 | 3 | 4,286 | 0.07% | 68km | 約20 |
| 津久見市 | 4 | 6,667 | 0.06% | 63km | 約20 |
| 田川市 | 6 | 12,000 | 0.05% | 69km | 約30 |
| 宇佐郡安心院町 | 2 | 2,500 | 0.08% | 24km | 約10 |
| 福岡市東区 | 10 | 25,000 | 0.04% | 105km | 約50 |
| 遠賀郡水巻町 | 3 | 5,000 | 0.06% | 85km | 約20 |
| 山鹿市 | 4 | 8,000 | 0.05% | 101km | 約20 |
| 福岡市西区 | 7 | 17,500 | 0.04% | 113km | 約30 |
| 福岡市中央区 | 5 | 12,500 | 0.04% | 107km | 約40 |
| 糟屋郡宇美町 | 3 | 6,000 | 0.05% | 96km | 約20 |
| 田川郡香春町 | 2 | 3,333 | 0.06% | 66km | ごく少数 |
| 北九州市八幡西区 | 10 | 33,333 | 0.03% | 79km | 約100 |
| 大野郡朝地町 | 1 | 1,111 | 0.09% | 62km | ごく少数 |
| 大野城市 | 4 | 10,000 | 0.04% | 99km | 約30 |
| 延岡市 | 8 | 26,667 | 0.03% | 111km | 約50 |
| 福岡市南区 | 7 | 23,333 | 0.03% | 104km | 約50 |
| 北九州市小倉北区 | 7 | 23,333 | 0.03% | 71km | 約50 |
| 北九州市門司区 | 7 | 23,333 | 0.03% | 68km | 約40 |
| 八代郡宮原町 | 1 | 1,250 | 0.08% | 139km | ごく少数 |
| 西国東郡香々地町 | 1 | 1,250 | 0.08% | 10km | ごく少数 |
| 大野郡犬飼町 | 1 | 1,250 | 0.08% | 57km | ごく少数 |
| 遠賀郡遠賀町 | 2 | 4,000 | 0.05% | 87km | 約10 |
| 福岡市早良区 | 5 | 16,667 | 0.03% | 111km | 約60 |
| 福岡市博多区 | 5 | 16,667 | 0.03% | 105km | 約40 |
| 嘉穂郡碓井町 | 1 | 1,429 | 0.07% | 77km | ごく少数 |
| 中津市 | 4 | 13,333 | 0.03% | 33km | 約30 |
| 糟屋郡粕屋町 | 2 | 5,000 | 0.04% | 99km | 約10 |
| 鞍手郡宮田町 | 2 | 5,000 | 0.04% | 83km | ごく少数 |
| 田川郡方城町 | 1 | 1,667 | 0.06% | 71km | ごく少数 |
| 北九州市戸畑区 | 3 | 10,000 | 0.03% | 75km | 約20 |
| 宮崎市 | 8 | 40,000 | 0.02% | 186km | 約40 |
| 豊前市 | 2 | 6,667 | 0.03% | 39km | 約10 |
| 宗像郡福間町 | 2 | 6,667 | 0.03% | 100km | ごく少数 |
| 遠賀郡岡垣町 | 2 | 6,667 | 0.03% | 92km | 約10 |
| 速見郡日出町 | 2 | 6,667 | 0.03% | 23km | 約10 |
| 大分郡庄内町 | 1 | 2,500 | 0.04% | 47km | ごく少数 |
| 田川郡糸田町 | 1 | 2,500 | 0.04% | 72km | ごく少数 |
| 直方市 | 3 | 15,000 | 0.02% | 78km | 約10 |
| 春日市 | 3 | 15,000 | 0.02% | 100km | 約10 |
| 熊本市 | 14 | 140,000 | 0.01% | 116km | 約70 |
| 太宰府市 | 2 | 10,000 | 0.02% | 95km | 約10 |
| 北九州市八幡東区 | 2 | 10,000 | 0.02% | 75km | 約20 |
| 福岡市城南区 | 2 | 10,000 | 0.02% | 109km | 約10 |
| 宗像市 | 2 | 10,000 | 0.02% | 96km | 約20 |
| 古賀市 | 2 | 10,000 | 0.02% | 101km | 約20 |
| 八代郡鏡町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 139km | ごく少数 |
| 大分郡湯布院町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 37km | ごく少数 |
| 北海部郡佐賀関町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 48km | ごく少数 |
| 遠賀郡芦屋町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 89km | ごく少数 |
| 朝倉郡夜須町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 89km | ごく少数 |
| 三井郡北野町 | 1 | 3,333 | 0.03% | 93km | ごく少数 |
| 久留米市 | 4 | 40,000 | 0.01% | 100km | 約20 |
| 菊池市 | 1 | 5,000 | 0.02% | 95km | ごく少数 |
| 玉名郡長洲町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 124km | ごく少数 |
| 菊池郡西合志町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 107km | ごく少数 |
| 葦北郡芦北町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 173km | ごく少数 |
| 糟屋郡篠栗町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 95km | ごく少数 |
| 鞍手郡鞍手町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 83km | ごく少数 |
| 東諸県郡国富町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 177km | ごく少数 |
| 東臼杵郡門川町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 123km | ごく少数 |
| 京都郡苅田町 | 1 | 5,000 | 0.02% | 57km | 約10 |
| 北九州市若松区 | 2 | 20,000 | 0.01% | 77km | 約10 |
| 飯塚市 | 2 | 20,000 | 0.01% | 80km | 約10 |
| 荒尾市 | 1 | 10,000 | 0.01% | 122km | ごく少数 |
| 玉名市 | 1 | 10,000 | 0.01% | 116km | ごく少数 |
| 小郡市 | 1 | 10,000 | 0.01% | 94km | 約10 |
| 前原市 | 1 | 10,000 | 0.01% | 125km | ごく少数 |
| 串間市 | 1 | 10,000 | 0.01% | 237km | ごく少数 |
| 八代市 | 1 | 0.00% | 148km | ごく少数 | |
| 大牟田市 | 1 | 0.00% | 119km | ごく少数 |